松山地方裁判所 昭和37年(わ)102号 判決 1968年7月10日
主文
被告人らはいずれも無罪。
理由
第一、本件公訴事実
被告人らに対する本件公訴事実は、
「被告人大野旭は国鉄労働組合四国地方本部執行委員長であり、被告人武知清はその書記長であり、被告人宮道義幸はその執行委員業務部長であるところ、被告人等三名は右国鉄労働組合員数百名と共謀して昭和三十七年三月三十一日午前三時四十分頃より同日午前五時四十分頃までの間約二時間に亘り松山市南江戸町国鉄松山駅構内において列車の運行を阻止するため、前記国鉄労働組合員数百名を指揮して、同駅構内上り二番線路上に機関士永井栄が乗り込み指示責任者たる列車扱い助役横尾虎雄の発車合図のもとに発車すべく待機中の午前三時四十二分発高松行六D準急行列車(いよ一号)前線路上に集合して立ちふさがり、国鉄当局の再三の立退要求にも応じないで立退かず、因つて右二番線路上より発車すべき右準急行列車につき右助役の発車合図及び右機関士による発車を不能ならしめ同列車に引続いて同線路上より発車すべき午前四時四十分発高松行四〇D普通列車につき乗務員等による進発を不能ならしめ更に右二番線路上より発車すべき午前五時二十一分発新居浜行四三四D普通列車につき約二十七分間前同様進発を不能ならしめ、もつて威力を用い日本国有鉄道の列車運行の業務を妨害したものである。」というのである。
第二、本件争議行為にいたる経緯
一、日本国有鉄道における労働組合の組織および同組織内における被告人らの地位
日本国有鉄道労働組合(以下国労という)は、日本国有鉄道(以下国鉄という)の従業員をもつて組織された労働組合であつて、その組織は、中央本部、数個の地方本部間の連絡、調整、指導の機能をもつ地方における本部(例、関西本部)、地方本部(以下地本という)、支部などからなり、その最高議決機関は全国大会であり、その執行機関は中央執行委員会および各下部組織の執行委員会である。国労四国地本は、国鉄四国支社に対応する国労の組織であり、国労関西本部を通じて国労中央本部の統制の下にある。
本件の発生した昭和三七年三月当時、被告人大野は国労四国地本執行委員長、被告人武知は同書記長、被告人宮道は同執行委員(業務部長)の各職にあつたものである。
当時組合員資格を有する国鉄従業員の総数は約四〇万人であり、うち約三二万人が国労に、約五万六千人が国鉄動力車労働組合(以下動労という)に、各約一万余名が国鉄職能別労働組合連合(以下職能連という)および国鉄地方労働組合総連合(以下地方連合という)にそれぞれ所属していた。当時国鉄には右四組合のほか約一〇数個にのぼる小規模の労働組合があつたが、国鉄本社との団体交渉資格を有する労働組合は、右四組合のみであつた。
以上の事実は、証人藤川守雄の供述記載、同河村勝、同臼井享の各尋問調書、被告人大野の供述記載などを総合して認める。
二、国鉄本社と国労との交渉
国鉄では、日本国有鉄道法第四四条第二項によつて支給される、いわゆる年度末手当は、労働組合との団体交渉によつてその金額などを取りきめるのが慣行となつていた。
ところで、国鉄従業員をもつて組織する労働組合は、当初国労のみであつたが、その後動労が分裂し、続いて他の組合も結成されて、本件当時は既述のように、国鉄本社と団体交渉権を有する労働組合として、国労、動労、職能連、地方連合の四組合が存在していた。そして年度末手当など国鉄従業員全般に通ずる労働条件に関し国鉄本社が労働組合と団体交渉を行なうに際しては、まず国労と団体交渉を開始し、次いで動労その他の組合と交渉を始め、途中各組合との交渉が並行して行なわれることはあつても、団体交渉の妥結は、その開始の順序と同様に、まず国労、次いで動労その他の組合という順序でなされていた。こうした団体交渉のやり方は、本件の場合を唯一の例外として、本件以前も本件以後も引き続き行なわれて来ており、昭和三七年三月当時には、国鉄および前記四組合を通じての団体交渉に関する慣行として、すでに確立されたものとなつていた。
国労は昭和三六年度については、昭和三七年二月七日頃国鉄総裁宛の書面により、各組合員に対し基準内賃金〇・五か月分プラス三、〇〇〇円を年度末手当として支給されたい旨の要求を中心とする計一三項目の要求を国鉄当局に提示し、これに対し国鉄当局は団体交渉をもつて決したい旨の回答をした。その後数回にわたり団体交渉が重ねられ、国鉄当局は、年度末も後数日に迫つた同年三月二三日に至りようやく国労に対し年度末手当として各組合員に基準内賃金〇・四か月分を支給する旨の提案をし、さらに同月二六日にいたり、前記〇・四か月分プラス一、〇〇〇円を支給する旨の、いわゆる最終提案を行なつた。国鉄当局は、同日右提案後、これと同一内容の案を、国労以外の前記三組合、すなわち、動労、職能連、地方連合に対して、右の順序で提示した。国労は、右最終提案を不満として、さらに団体交渉を継続したい旨の意思表示をし、その結果翌二七日午前一〇時から団体交渉が続行されることとなつた。他方、右三組合との団体交渉は、団体交渉に関する従前の慣行と異り、国労と妥結しないまま、いずれも同月二七日早暁にいたり右最終提案の内容で妥結してしまつた。そして、同日開かれた国労との団体交渉の席上、国鉄当局は、先に提示した基準内賃金〇・四か月分プラス一、〇〇〇円の案はこれ以上譲歩できない最終提案であり、かつすでに右内容で他の三組合とは妥結していることを理由に、国労に対し右案の受諾を強硬に迫つた。これに対し国労は、右最終提案の支給額をふやすこと、前日の団体交渉の席上で国鉄当局が国労と妥結しないうちに他組合との妥結はしない旨の約束をしたのに前記のように他組合と先に妥結したのは右約束を破つたものであり、かつ、団体交渉に関する前記慣行を破るものであつて、国労の団体交渉権を実質的に否認する国労組織の破壊行為であることなどを激しく主張して譲らず、同日交渉は決裂状態におちいつた。その後、政府、社会党などにより、円満妥結のための努力が払われたが、これが実らないまま、結局本件時限ストが発生した同月三一日を迎えることとなつた(最終的には、同日の団体交渉で妥結し、同日午前五時過頃時限ストの解除指令が発せられた)。
国労は、国鉄当局の前述のような態度を従来の労使慣行違反、国労の組織防衛上の大問題として重視し、さらには三月二七日の団体交渉の席上で国鉄当局が当局案に基づく一方的支給もありうるとの発言をもしたとして、当局に強く反発する姿勢を示すに至り、すでに二月上旬頃に年度末手当獲得にからむスケジユール闘争の一環として発せられていた、三月三一日に一時間程度の時限ストを行なう旨のスト準備指令の強化を検討するに至つた。その結果、国労中央執行委員会の委任を受けた戦術委員会において、いわゆる拠点闘争方式による時限スト実施の強化を決定し、下部組織にこれを指令した。
以上の事実は、証人石川俊彦の供述記載、同河村勝、同江田三郎、同臼井享の各尋問調書などを総合して認める。
三、本件争議行為開始までの四国地本の経過
国労四国地本は、三月二七日昼過ぎ頃関西本部から、「三月三〇日の二二時から三一日の八時半までの間二時間の時限ストライキを決行せよ。その場合運転部門一か所を選び列車にできるだけの打撃を与えよ。」との指令を受け、直ちに高松市内の玉藻荘において、被告人大野、同武知、同宮道およびその他の執行委員ら出席のうえ四国地本執行委員会を開き、前記のような国労と国鉄本社との中央交渉の経過を考慮に入れて右指令に対する処置を検討した結果、右指令を受諾して闘争を行なうことにし、ストライキ実行の場所を松山市南江戸町松山駅、実行の日を同月三一日、実行の時刻は松山できめる旨の決定に達したので、翌二八日これを国労愛媛支部に通知した。
被告人武知、同宮道は同月二九日には松山に到着し、本件時限ストに先立ち、右支部執行委員長高畠六利らとともに、松山駅当局、愛媛県警察本部、松山東警察署などを訪ね、右ストの実施を予告するとともに、関係機関の理解と協力を要請した。同月三〇日夜、国労愛媛支部事務所において、同日松山に着いた被告人大野も加え、国労四国地本および同愛媛支部の執行委員らからなる闘争委員会が開かれ、その席上、「翌三一日の始発時刻にあわせて午前三時四〇分から同五時四〇分まで職場放棄をして二時間の勤務時間内職場大会を松山駅構内で開く。国鉄従業員以外からなる支援労組員は駅構内には入れない。構内での職場大会終了後駅前で解散集会を開く。」などの決定が最終的に確認された。
一方、国鉄四国支社当局は、国労が三月三〇日か三一日に松山駅で二時間の時限ストを行なう旨の情報に接し、同月二九日同支社の関係部長会議を開催して対策を検討した結果、松山駅に対策本部を設置して、その本部長に当時の四国支社営業部長兼公安部長であつた太田重作をあてることにした。同本部では、国労組合員によるピケを予想しこれを実力で排除する目的で、鉄道公安官からなる公安班三班(人数総計六〇余名)、非組合員からなる機動班四班(人数総計約一〇〇名)を編成し、さらに右両班による排除が成功しない場合に備えて、本件時限ストに先立ち、松山駅長名で松山東警察署長あて、警察官の出動要請を行なつた。
以上の事実は、証人重松勅正、同越智繁、同春木谷定行、同太田重作、同藤川守雄、同高畠六利(第二三回公判調書)の各供述記載、被告人大野、同武知、同宮道の各供述記載、被告人大野の検察官に対する昭和三七年四月一九日付、同月二一日付(一)各供述調書、被告人武知の検察官に対する同月一七日付、同月二一日付(一、二、三)各供述調書、被告人宮道の検察官に対する同月一八日付供述調書などを総合して認める。
第三、本件争議行為の内容
三月三〇日夜には、国労愛媛支部前のテニスコートにおいて、松山その他四国各地から集つた国労組合員らによるいわゆる決起大会が開かれ、さらに翌三一日(以下当日という)午前〇時半頃には、松山駅構内ホーム上において国労組合員によるデモなども行なわれるようになり、同日午前三時頃になると、同駅で勤務中の国労組合員に対する職場放棄の説得活動が開始されこれに応じて職場を離れる組合員が出はじめた。午前三時三〇分頃には、上り二番線路上の午前三時四二分発高松行六D準急行列車(いよ一号)前線路上およびその付近に国労組合員数百名が集合し、被告人ら三名を含む組合幹部の指揮のもとに、あるいはスクラムを組み、あるいは喊声をあげるなどして気勢をあげるに至つた。このようにして、国労組合員らは同列車の乗務員に対し本件時限ストへの協力方を要請した。このため、すでに機関士永井栄、機関助手酒井時雄(いずれも動労組合員)らが乗り込み、発車指示責任者たる列車取扱助役横尾虎雄の発車合図があれば所定時刻に発車しうる態勢にあつたいよ一号は所定時刻どおりの発車が困難な状勢となつた。
こうした状況に対し国鉄当局は、すでに当日午前一時頃以降繰り返し松山駅長および対策本部長から国労組合員の構外退去を要求する放送を行ない、特にいよ一号の発車時刻頃には、太田対策本部長自ら二回以上にわたり、「至急構内から退去してもらいたい。退去しなければ実力で排除する。あと五分間の猶予を与える。」旨の放送をした。さらに当局は、同時刻頃松山駅長名で国労組合員に対し、列車は定時に発車するから直ちに線路外に退去するようにとの要求をしるしたのぼり約四本をいよ一号前の国労組合員の先頭付近に掲出した。また、おおむねその時刻頃、右国労組合員の前面近くに前記公安班および機動班(両者合計約一六〇名)も進出して、これと対峙するにいたつた。
このような当局の措置にもかかわらず、いよ一号前の国労組合員は午前五時三〇分頃まで同所から立ち退かず、そのため当局は、いよ一号については、乗客に対する発車予告ベルを鳴らした段階までで同列車の発車手続をあきらめ、その後になされるべき、列車取扱助役の発車合図および同列車のドアの閉鎖もなされず、もちろん同列車の発車汽笛も吹鳴されないまま、結局同列車は発進するに至らなかつた。さらにその結果、右二番線から発車すべき午前四時四〇分発高松行四〇D普通列車の発車が不能となり、また同じく同線上から発車する午前五時二一分発新居浜行四三四D普通列車が約二七分延発せざるをえなくなつた。
一方、前記公安、機動の両班員は、前記のように現場で国労組合員と対峙の姿勢をとつたものの、何ら実力による排除に着手することなく、午前四時過頃には全員現場から引き揚げた。
国労組合員による本件争議行為を応援するための支援労組員の数は当日約八〇〇名から一、〇〇〇名に達したが、同組合員らは本件争議行為中、終始松山駅構内に立ち入ることなく、同駅付近で気勢をあげ、側面から国労組合員を援助するにとどまつた。
午前五時三〇分過頃には、松山駅構内を引き揚げた国労組合員と同駅付近に集合していた支援労組員とは、予定どおり同駅前で合同して大会を開いて、解散した。
以上の事実は、証人重松勅正、同越智繁、同春木谷定行、同横尾虎雄、同酒井時雄、同友国毅、同太田重作、同永井栄、同曾我部正雄、同前田輝美の各供述記載、当裁判所の検証調書、押収してある写真一七葉(証第一号の一の一ないし一七)および八ミリフイルム一巻(証第一号の二)、被告人大野、同武知、同宮道の各供述記載、被告人大野の検察官に対する昭和三七年四月一九日付、同月二一日付(一、二、四)各供述調書、被告人武知の検察官に対する同月一七日付、同月二一日付(三)各供述調書、被告人宮道の検察官に対する同月一九日付供述調書などを総合して認める。
第四、本件争議行為に対する当裁判所の法律的判断
一、本件の事実関係は前記認定のとおりであつて、本件公訴事実はほぼこれを認めることができる。すなわち、前記のように当日被告人ら三名が国労組合員数百名とともにいよ一号前付近に立ちふさがつて、国鉄当局の立退要求に従わず、同列車その他の列車の発進を妨害した事実は、関係証拠によつて証明されるところである。そして、被告人らの右所為が刑法第二三四条にいう威力にあたること、右威力の行使のため列車の運行という国鉄の業務が妨害されたこと、従つて、被告人らの右所為が同条の構成要件に該当するものであることは疑いがない。
しかしながら、たとえ公共企業体等労働関係法第一七条違反の争議であつても労働組合法第一条第二項の刑事免責規定の適用があると解すべきものであることはいうまでもない(最高裁判所昭和四一年一〇月二六日判決、刑集二〇巻八号九〇一頁および同裁判所同年一一月三〇日判決、刑集二〇巻九号一〇七六頁参照)ところ、当裁判所は、被告人らの本件所為は刑法第二三四条所定の威力業務妨害罪として処罰するほどの違法性を有していないものと考える。
二、思うに、憲法第二八条は、勤労者に対して人間に値する生存を保障するべきであるとの基本的見地から、経済上劣位に立つ勤労者に対して実質的な自由と平等を確保するための手段として、団結権、団体交渉権、争議権等を保障したものである。このように憲法自体が生存権の保障を基本理念とし、財産権の保障と並んで勤労者の団結権、団体交渉権、争議権等の保障をしている法制のもとでは、これら両者の間の調和と均衡が保たれるように実定法規の適切妥当な解釈をしなければならない。このことから当然のことながら、同盟罷業その他の争議行為であつて労働組合法の目的を達成するためにした正当なものは、刑事制裁の対象とならないし、労働基本権が勤労者の生存権に直結し、それを保障するための重要な手段である点を考慮すれば、勤労者の争議行為等に対して刑事制裁を科することは、合理性の認められる必要最小限度にとどめるべきであると考えるのが相当である(最高裁判所の前記昭和四一年一〇月二六日の判決参照)。
このような見地に立つにしても、勤労者の争議行為等に対して刑事制裁が科せられるのは、果していかなる場合であるかとの基準の設定はきわめて困難である。ただ、抽象的には、前述のような労働基本権尊重の精神に則り、刑事制裁を必要最少限の場合にかぎるとの立場に立つて、労働争議の多様性、流動性に着目しつつ、具体的事案に即して、争議発生の経過、争議行為の目的、争議行為の態様、争議行為の影響など諸般の事情を総合してこれを決すべきである、というほかはない(最高裁判所昭和三三年五月二八日判決、刑集一二巻八号一六九四頁、札幌高等裁判所昭和四二年四月二七日判決、高刑集二〇巻二号二二二頁参照)。換言すれば、このように諸般の事情を総合的に考察して、問題となつた争議行為が刑罰をもつて対処しなければならないほどの高度の反社会性を有するときにかぎり、はじめて右争議行為は、いわゆる可罰的違法性を有するものとして、処罰の対象となると、解すべきである。
ところで、本件では被告人らの指揮した前記ピケツテイングの行為(以下本件ピケ行為という)が公訴の対象となつているので、ピケツテイングと刑事制裁との関係についてさらに思うに、争議行為は、いわゆる単純労務不提供を内容とする同盟罷業を中心とするものではあるけれども、これに限られるものではなく、同盟罷業参加者以外の者に対して、あるいは同盟罷業への参加を呼びかけ、あるいは同盟罷業の妨害となるべき行為をしないよう要請するなどの説得活動も、同盟罷業に付随する補助的争議行為として許される。これがいわゆるピケツテイングであるが、その内容はいわゆる平和的説得に限られず、たとえば同一企業内の労働者に対しては労働者としての連帯感に訴え、同盟罷業を実効あらしめるよう要請して、ある程度の阻止行動に出ることも、場合によつてはこれに含まれると解する。そして、いかなる場合にいかなる程度の阻止行動をしても刑事制裁の対象とならないかの点については、争議行為一般についてすでに述べた基準に従つて、これを決すべきである。
三、そこで、本件において刑事制裁(違法性)との関係で特に重視すべき諸事情について、次に検討することにする。
1 本件ピケ行為は、国鉄当局に対する昭和三六年度の年度末手当の要求を中心とする、国労組合員の労働条件改善などを目的とした国労の全国的争議の一環として行なわれたものであり、もとよりその目的において違法なものということはできないのみならず、本件争議にいたつた経過においても、国労側に信義則違反などとして非難すべき状況があつたことをうかがわせるような証拠はない。かえつて、国鉄当局において国労を本件争議のような形での実力行使にいわば追い込んでしまつたとの批判を受けても止むをえないと思われる事情が存在する。すなわち、前判示(第二、二)のように、国鉄当局は、本件争議以前に、国鉄当局と国労、動労、職能連、地方連合の四組合の間に確立していた団体交渉に関する慣行に反し、昭和三七年三月二七日に、国労と妥結をみないまま、国労以外の他の三組合と妥結し、その後の国労との団体交渉において、右妥結自体を理由の一つとして当局案の受諾を強硬に迫つたのであつて、国労はこれに強く反発して本件争議に入つたものである。
およそ労使間における紛争の解決は、現実には仲裁などの公権的解決の制度が利用されることも多いとはいえ、労使双方の良識に基づく自主的交渉により解決されるのがもつとも望ましい。かかる自主的交渉が円滑に行なわれ紛争の妥当な解決がえられるためには、当然のことながら、労使双方がともに依拠しうる共通の基準としての交渉のルールがなければならないし、また一たんそうしたルールが設定された以上、そのルールは、双方の合意によつて廃止されるまでは、正当の理由がないかぎり、労使のいずれもこれを一方的に破ることは許されない。ところで、通常、特定の使用者と特定の労働組合との間に特定の使用者のもとにおける労働者の労働条件に関する同じような問題が長年にわたり繰り返し交渉の対象とされること(たとえば、年度末手当の問題が毎年団体交渉の課題となるように)などの事情から、労使間には自ずと交渉に関する慣行が一種の重要な自治的社会規範として形成されて行く可能性が強く、また現実にもかかる慣行が右のような規範として数多く存在することは想像するに難くないところである。かかる慣行は、前述した紛争解決のための重要ルールの一つであり、それが違法でないかぎり、実定法規や明示の労働協約などとともに、労使双方とも充分にこれを尊重する義務をおうといわねばならない。そうだとすれば、本件における国鉄当局の前記態度は、こうした意味での慣行の尊重義務に反する不当なものというほかはない。
さらに、労使間における団体交渉は双方が誠意をもつて行なわねばならず、双方がそれぞれ相手方に自己の案の正当なる所以を説明してこれを説得するための合理的努力を払うべきである。もし、使用者が単に他組合との妥結自体を理由に、右妥結案の受諾を相手方組合に迫つた(相手方組合に先んじて他組合と妥結することは相手方組合に対しては一歩も譲歩しないという固い決意を表明したこととなる。)とすれば、かかる使用者は右の意味での合理的努力を払つたとはいえず、かかる使用者の態度は団体交渉の拒否となりかねない。こうした観点からみると、本件における前記国鉄当局の態度は、他組合との妥結自体を一つの強い理由として国労に対し自己の案を受諾するように迫つたものであるから、これがいわゆる団体交渉拒否として違法であるとまでいえるか否かはともかく、不当であることは明らかである。
とくに本件当時国労は、組合員資格を有する国鉄従業員の四分の三以上を擁していた多数組合であり、その組合員数において第二位の動労とさえも著しい懸隔があり、他の二組合にいたつては国労にくらべればほとんど問題にならないほど少数の組合員しか有していなかつた実情を考慮すると、国鉄当局の右態度は、労働法、少なくとも労働協約法の基本的原則の一つである多数組合尊重の精神(労働組合法第一七条、第一八条参照)にも反するものといわざるをえない。もとより少数組合といえども独立の労働組合として認めうるものである以上、独立の団体交渉権および協約能力を有するものではあるけれども、使用者としては少数組合との正式妥結の日時(例えば調印の日)を後日に譲るなどして多数組合尊重の精神を貫くことが可能であるのにかかわらず、事ここに出でずして、少数組合との妥結内容を多数組合にいわば押しつけることは、多数組合尊重の精神に反するものであつて妥当ではない。
もちろん、本件において国鉄当局の右のような不当な態度があつたからといつて、国労側がこれに対処するため、いかなる行動に出てもよいとはいえないが、国労側が国鉄当局の右態度を、労使慣行の無視、国労の組合としての存立もしくは国労組合員の団結に対する脅威という観点から重大視し、国労組合員の労働者としての権利を擁護し、国鉄当局に対して反省を求め今後のかかる事態の発生防止のために、これに強く反発する態度に出たことは、理解しえないところではない。なるほど当日一時間程度の時限ストを行なう旨の指令がすでに二月上旬頃から出されていたことは事実であるけれども、右指令は、いわゆるスケジユール闘争の一環としての準備指令であり、時限ストの具体的内容、実施方法は確定しておらず、準備指令という指令の性質上、その後の国鉄当局との交渉経過いかんにより、右指令は流動的に変化すべきものであつたと思われるのであつて、前記認定のように当日の松山駅における時限ストが前示の程度にまで強化されたのは、国鉄当局の右態度に起因するところが大であるといわざるをえない。
2 被告人らの指揮した本件ピケ行為の結果、前示のとおり午前三時四二分発いよ一号および午前四時四〇分発高松行四〇D普通列車が発車できず、さらに午前五時二一分発新居浜行四三四D普通列車が約二七分延発するという事態が発生した(証人重松勅正の供述記載によれば、このほかにも同時間帯の他の若干の列車にも影響のあつたことがうかがわれるが、検察官も右の限度で公訴を提起しているのみであつて、これらが主要なものであつたと考えられる)。右各列車はいずれも、早朝時の、かつ、松山始発の列車であつてその乗客は少数であつたと思われること(いよ一号の通常および当日の乗客数は約一〇名であつた。この事実は証人森田吾郎、同前田輝美の各供述記載などによつて認める)、当日いよ一号の代替用臨時列車が今治から運行されたこと(この事実は証人西山充、同門屋一夫の各供述記載などによつて認める)、前判示(第二、三)のように本件ストが事前に関係当局に通告されたこと、国労側において列車利用者にも事前に本件ストを予告する努力をしたこと(この事実は被告人武知の検察官に対する昭和三七年四月二〇日付供述調書などによつて認める)などを考慮すれば、もとより右各列車の運休もしくは延発により国鉄当局および国民が迷惑を蒙つたことは否定できないけれども、その実害の程度はさほど大きなものではなかつたと考えられる。そして、被告人武知、同宮道の供述記載などによれば、被告人らにおいても、本件ストの実施時間を始発から二時間と予定したのは、なるべく国民の受ける被害を少なくしようとする意図から出たものであつたことがうかがわれる。さらに、本件ピケ行為の結果列車の運行ダイヤに混乱を生じたため列車の衝突などの事故が現実に発生したことのないのはもちろん、そのような危険が生じたことをうかがわせる証拠も皆無である。
3 本件ピケ行為は、数百人に上る国労組合員によつてなされたいわゆるマス・ピケツテイングであり、列車の運行を阻止する効果の大きなものであつたことは否めないところであるが、国労組合員が右ピケ行為以上に、いよ一号の機関士、機関助手および車掌の同列車への乗務や列車取扱助役の同列車の発車手続を妨害したり、運転器の損壊など同列車の運行機能自体を阻害するような物理的力を行使したり、また信号機の操作を不能にしたりなど、同列車の発進を最終的決定的に不能にする行為に出たとの証拠は全く見当らない。のみならず、前示のように国鉄当局は、いよ一号については、乗客に対する発車予告ベルを鳴らした段階までで同列車の発車手続をあきらめ、その後になされるべき、列車取扱助役の発車合図、同列車のドアの閉鎖、および同列車の発車汽笛の吹鳴などはすべてなされなかつたのであつて、国労組合員が、現実に発進を開始し、もしくは発進に着手した同列車をピケツテイングにより強硬に阻止するという状態も発生しなかつた。
4 被告人武知が退去要求を記した数本ののぼりのうち一本を国鉄職員坂東正男から奪つて折つたという事実(これは、証人坂東正男、同石川雄二郎の各供述記載、被告人武知の検察官に対する昭和三七年四月一七日付供述調書などによつて認める)(このことは検察官も本件起訴状に記載していないし、本件争議行為全体を違法ならしめるほどのものではない)のほかは、当日国労組合員によつて何人かに対して暴行が加えられたとか、あるいは国鉄その他の者の財産を損壊するなどしてこれに損害を与えたとかの事実は、全くこれを認めえない。
四、以上のような諸事情(特に国鉄当局側に強度の背信行為のあつたこと)および前判示(第二、第三)の事実関係を、前判示(第四、二)のとおりの争議行為に対する刑事制裁に関する当裁判所の見解に照して総合検討するときは、公訴提起にかかる被告人らの本件所為は、いまだ刑法第二三四条の威力業務妨害罪をもつてこれを処罰しなければならないほどの違法性を有するとは認めることができない。
第五、結論
以上の理由により、被告人らの本件所為は、結局犯罪の証明がないことになるので、刑事訴訟法第三三六条により被告人らに対し無罪の言渡をする。
よつて主文のとおり判決する。